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金魚の住む部屋−2
「ダメだ、繋がらねぇ・・・」
シルバーの携帯をたたんだ涼介は、乱暴にソファに放り投げた。
圏外なのか充電切れなのか、何度コールしても携帯は繋がらない。もしかしたら故意に電源を切っているのかもしれない。
(・・・まさか浮気じゃねぇよな)
不吉な考えが頭に浮かんだけれど、拓海に限ってそんなことは有り得ない。
しかし、そう断言しても涼介の心には一抹の不安が残った。
(この前、一緒にメシを食ったのはいつだった?)
最近一緒に食事をした日さえ思い出すのが困難なほど、この頃は忙しかった。生活サイクルが合わず、拓海を構ってやれなかった。家にいてもレポートに追われ、満足に会話すらしていない。”オレは平気です”と言う拓海の優しさに甘えてしまうのは自分が不甲斐ないからだ。
だから、愛想を尽かされてもおかしくはない。
涼介はソファから立ち上がりカレンダーを覗き込んだ。拓海には予定を書き込むという習慣がないから期待はしていなかったが、やはり今日の日付の下は空欄だった。
だったらせめてメモでも残していかなかっただろうか。
視線を巡らせたけれど、それらしきものは目に付かない。
涼介は食卓テーブルに放置された新聞に目を止めた。朝刊は、出掛け前の涼介が読みおえたままの状態で置かれていた。
広告チェックが趣味の拓海にしては珍しい。手付かずの広告は新聞に挟まれたままだった。
(そういえば夕刊がないな・・・)
玄関に戻って郵便受けを開けてみると、中にはまだ数枚の郵便物と夕刊が残されていた。
(・・・っていうことは、あいつは朝仕事に出かけたきり帰ってきていないってことか)
仕事が終わってそのままどこかに出かけたのだろうか。
(飲み会とか?)
もしそうなら全てのつじつまが合う。
ハチロクが残っているのも、出勤したきり帰ってこないことも、飲み会だったら当然のことだ。
けれど、涼介はすんなり納得できなかった。
(じゃあ、どうしてオレに連絡してこないんだ?)
他愛もない用事でも携帯にメールをくれる拓海が、今日ばかり何故音信不通なのだろう。電波の届かない場所で飲んでいるにしても、こんな遅い時間まで一カ所に留まっていることはないはずだ。
あまりにも気になって、涼介は良くないことばかり考えてしまう。
暗い玄関の壁により掛かり耳を澄ましても、外からは誰の足音も聞こえない。
(それに、帰りが遅すぎる)
コートを脱いでしまえば玄関先の冷気というものは容赦なく身体の芯まで染み込んでくる。
リビングに戻って体を温めようとしたところで、ふと、僅かな水音に気が付いた。
「あ・・・」
水音は下駄箱の上に置かれた水槽のものだった。
(そういえば、こいつらのことをすっかり忘れていたぜ)
涼介は水槽の照明スイッチを入れた。
突然の眩しさに驚いて、二つの魚影が水槽の中を慌ただしく逃げ回り、水草がゆらゆらと揺れた。
水槽の中には赤い和金と白・赤・黒のまだら模様の琉金の2匹の金魚しかいない。35リットルのサイズにたったの2匹では寂しい感じもするが、特に増やそうとも思わなかった。
この2匹は涼介にとって特別だ。
(・・・しばらく見ない間に結構大きくなったな)
涼介は、金魚を手に入れた日のことを思い出した。
◇ ◇ ◇
花火が終わり駐車場へ戻る人波の中を、二人は歩いていた。
涼介の手の中には拓海の細い手首。
せっかく同棲をOKしてもらったのだから、この幸せな気分をもう少し味わっていたい。
『手、繋ごうぜ』と言う涼介に、拓海は『男同士だし恥ずかしいから絶対にイヤです』ときっぱり答えた。小さなショックを受けた涼介は強引に手を握ろうと考えた。しかし、それで拓海が機嫌を損ねてしまうのは困る。へそ曲がりな拓海のことだから”やっぱり同棲はやめる”と本気で言いかねないからだ。
手を握ることを諦めた涼介は『この人混みだし、手を引いて歩くんだったら誰も変に思わないぜ』と納得させ、拓海の手を引っ張るように歩くことにしたのだった。
人波はなかなか進まない。花火を見終えた人々が露店に目を止めながら歩く所為だろうか。
時間が経つに連れ、拓海の口数が減っていく。
人酔いでもしたのだろうか。
どこかで少し休んだ方が良いかもしれない。
そんなことを考えていると、通路の脇に空間を発見した。
祭り終了直前、各露店に駆け込み客が集まる中、その店は早くも撤収作業に入っているようだ。鉄骨に張られているはずの店案内はすでになく、その店が何屋なのかはわからない。
その店が何を売っていたのかなんてどうでもいい、涼介はひらけた空間で休む為に拓海を引っ張った。
視界が開け、足元が見えるようになったところで、そこが金魚すくいの露店だとようやくわかった。プラスチック製の青く大きな水槽は既にエアーポンプも止まっていて、静かで寂しげだった。
『涼介さん?』
『ちょっと休もうぜ』
『でも、お店の人に迷惑じゃ・・・』
『店終い始めてるから大丈夫だろ。それにもう金魚はいないよ』
言いながら何気なく覗いてみると、中にはまだ2匹の金魚が残っていた。水槽の隅に金魚が2匹、身をじっと寄せ合っている。
『涼介さん、やっぱいるよ、金魚』
『ああ・・・そうだな』
邪魔になるから帰ろうと、今度は拓海が涼介を引っ張った。
けれど涼介はそこを動かない。
拓海を引き留めると、後ろを向きダンボールに何かを詰めている露天商に話しかける。
『もう終わりですか?』
露天商は作業の手を止めて、面倒臭そうに答えた。
『悪いね、もうお終まいだよ』
『でも、まだ金魚はいますよ?』
『ああ・・・それね・・・』
初老の露天商は苦笑いを浮かべ、水槽を覗き込んだ。
『”飼えないからやっぱり返します”っていう困った客がいてね、子供は泣いて嫌がったんだけど、親がもう頑として譲らなくてなぁ。金魚すくいは楽しいけど、その後が困るんだって言うから参っちゃうよ。お金は返さなくていいから金魚は引き取ってくれって、一方的に水槽の中に戻してさ、逃げるように帰ってったよ』
『そうですか・・・』
『まぁ面倒見れないからってそこいら辺の汚い川に放流されちゃうよりは良いかもしれねぇけど、商売人としてはこういう場合どうしたらいいんだろうねぇ。もう店終い始めたことだし、残りの金魚が2匹じゃ客も来ないよ』
『それじゃあ、オレが飼います』
『涼介さん?』
『金魚すくい、やらしてもらっていいですか?』
涼介はそう言って財布をポケットから出した。
『ああ、そんな、金は要らないよ。どうせ一度売った魚だし、引き取って貰えるんだったらこっちも有り難い』
そう言って露天商は小さなボウルで金魚をすくおうとした。
金は要らないなんて随分良心的だな、と涼介はこの露天商が気に入った。
『ちょっと待って下さい』
『ん?』
『それだったら、ポイ代としてお金を払わせて下さい。せっかくだし、金魚すくいやらせてください』
『ああ・・・それでもなんか申し訳ねぇ気がするけど・・・ほらよ、ちゃんとすくってやんな』
露天商は小銭を受け取ると涼介にポイをひとつ差し出した。
『ありがとうございます。ほら、拓海』
『え、オレ?』
他人事のように二人を眺めていた拓海は、ポイを手に慌てふためいた。
『オレがやるよりお前の方が似合うだろ。浴衣着てるんだし』
『だってこれは涼介さんが着ろって言うから・・・ズルイよ、涼介さん普通に服着てるんだもん』
『オレも浴衣を着るだなんて一言も言ってなかっただろ。ほら、文句言ってないでさっさとすくう』
『もう・・・』
拓海は口を尖らせて文句を言い続けたけれど、ポイを破ることもなく短時間で2匹の金魚をすくって見せたのだった。
『どうして金魚なんか・・・すぐ死んじゃうかもしれないのに』
人波の密度が減った頃を見計らって、二人は並んで歩き出した。
『ちゃんと世話をしてやれば大丈夫だよ。オレ達の家族になったわけだし、大きく育ててやろうぜ』
な? と笑いかけると、拓海はまたも顔を赤くして、袋の中で泳ぐ金魚に視線を移した。
『オレ達の子供みたいだろ?』
拓海と同じ部屋で生活するのは本当に嬉しいことだけれど、欲張りな涼介は他にも住人が欲しいと思ったのだ。小さなか弱い生き物を、二人で愛でていくのも悪くない。
そう思った涼介の、同棲生活への憧れだった。
◇ ◇ ◇
(偉そうなことを言ってたくせにあいつに任せっきりで・・・子供も何もねぇな)
金魚だけではない。
炊事洗濯、生活用品の買い出し。仕事と配達で疲れている拓海に、面倒なことばかり拓海に押し付けてしまっている。
金魚だって自分の我が儘同然に飼い始めたのに、拓海ばかりに世話をさせて。
(こんな同棲生活じゃあ・・・愛想尽かされても仕方ないな)
拓海はどんな気分で、この静かな部屋の中で金魚に接していたのだろうか。
そう考えると、なんだか少し切ない気分になった。
2時を廻っても拓海は帰ってこなかった。
電車のないこんな時間に、車なしでどこに行ってしまったのだろうか。
待ちくたびれた涼介の頭の中は不安でいっぱいだった。
(まさか、具合でも悪くなってどこかに入院でもしているんじゃ・・・)
(いや、入院なんて事になったら親父さんからでも、オレに連絡が来るはずだ。・・・もしかして、実家に帰ったのか?)
(・・・渋川で飲み会の後、自宅に一泊か・・・有り得るな)
そう思ったところで涼介はソファから立ち上がった。再びコートを着ると、携帯とキーを手にアパートを出る。
自分の推理が当たっているかどうかを確認するなら電話が一番早い。けれど、睡眠中の拓海の父親を起こすのは忍びない。それに、”拓海が居なくなった”なんて情けないセリフを言うわけにはいかなかった。
(自分の目で確認してこよう)
家で待っていればいつかは帰ってくるかもしれない。けれど、その時間をただジッと待っているのは苦しい。
(拓海・・・)
同棲というものがこんなにも不安で心細い物だとは少しも思わなかった。拓海が居ない、それだけで自宅よりも居心地の悪い空間になってしまうなんて。
拓海は普段からこんな気持ちを抱いていたのだろうか。
不満も言わず、ただ穏やかに微笑んで、自分が帰るまでずっと我慢していたのだろうか。
拓海に対する罪悪感を感じながら、涼介はFCに乗り込んだ。
つづく
短いですがきりのいいところでつづくにしました。
次で終わるかな。
2005.02.08
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