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金魚の住む部屋−1
明かりが点いていない。
見上げた先に眩しく光っているはずのそこは闇に溶け込んでいて、本当に存在しているのか疑ってしまいそうになる。明かりが点いていたら、この重たい両足はきっと浮き足立ったことだろうに。
疲労困憊している心と体に、容赦なく秋の夜風が凍みる。帰る場所への距離が果てしなく遠く感じられ、数日前との違いに失望さえ感じた。
(拓海・・・?)
煌々と輝いているはずのそこは紛れもなく自分の部屋だ。数百メートルほど離れたここから毎晩確認しているうちに、そこが自分の部屋であるとはっきり解るようになった。
2階の一番奥、昼寝が大好きな彼のために日当たりのいい物件を探したのだが、彼はそのことに気付いているだろうか。
住宅街にひっそりと建つそこは、高崎の自宅ではなく、涼介が借りているアパートだった。
大学とプロジェクトDの活動で忙しい日々を送る中、拓海と会う時間を自由に取れずに苛立っていた夏の日。
殺人的スケジュールを消化するために、涼介は短期集中型の日程を組んでいた。大学に詰め込むときは自宅に帰ることなく大学に籠もり、Dの活動をするときはそちらに専念するという、厳しいシフトの生活だ。
こんな生活を送っていれば、恋人である拓海とのデート時間を捻出することなんか当然出来ない。
”Dで会えるから大丈夫です”
甘えることなく笑ってみせた恋人に腹をたて、素直になって欲しいと願った日々。甘えたいのは自分であって、拓海が悪いわけではないのに。Dで会えてもその空間ではリーダーとドライバーという関係でしかなく、少しずつ、恋人という繋がりが希薄になっていく不安感に自然消滅という言葉まで脳裏をちらついた。
拓海を離したくない。
まだ早いだろうと思われたが、涼介は決心した。
ある夏の夜、スケジュールを無理矢理空けて拓海を誘い出した。
夏祭りの賑わい、夜空に咲く花火の下で、繋いだ手に力を込めて、涼介は言った。
”一緒に暮らさないか”
自分を見上げていた視線が、困ったように逃げた。それでも、ほんの少しだけ、拓海は頷いてくれた。
握り返してくる汗ばんだ手、伏せた長い睫毛。目を瞑ると思い出される美しい映像。
空に咲く花火の下、幸せを手に入れた瞬間だった。
あれから、3ヶ月。
部屋の電気が消えている−−−。
例のごとく大学に缶詰だった涼介は、数日ぶりに帰れることになった。実習のめどが付いた時点で拓海の携帯にメールを送信したのだが返事はない。
あの時、既に日付は変わっていた。仕事で疲れている拓海は、そんな時間のメールに気付かず眠っていたのかもしれない。
でも。
不安を感じた涼介は、手に提げたビニール袋に目を落とした。
一緒に食べようと買った二つの肉まんはまだ温かいだろうか。冷めないように帰路を急いだけれど、拓海は食べてくれるだろうか。
アパートの外観がはっきり見える距離まで来てもう一度、部屋を見上げた。
やはり、消えている。
拓海との同棲生活において”電気が消えているなんて有り得ないこと”だと涼介は考える。いつも、どんなときでも、優しい拓海は涼介の帰りを心待ちにして部屋の明かりだけは消さないでいてくれたのだ。
先に眠っていても明かりだけは点いていたし、涼介が帰らない夜でもリビングと玄関の電気だけは点けっ放しにしているんだと照れながら言っていた。
だから、拓海が留守であることは間違いないと言える。
(しかし・・・)
信じたくない涼介は、僅かな期待を胸に帰路を急いだ。張りつめた空気にアスファルトを叩く革靴の音が響く。アパートまで百メートルという僅かな距離がとても長く感じられて、息が切れた。
ようやくアパートに辿り着き、涼介は一気に駆け上がろうと階段に足を掛けた。そこでふと駐車場に目をやると、涼介のFCの隣にはしっかりとハチロクの姿があった。
(いるのか・・・?)
拓海は車通勤だし、ハチロクを置いて外出するなんて今まで無かったことだ。車があるということは、拓海は家にいるということになる。
電気が消えていても、拓海は家にいるのかもしれない。
僅かな期待が更に膨らむ。
こんな時間に近所迷惑かと思うけれど、涼介は威勢良く階段を駆け上がった。
『今日はもう帰って来ないかと思っていました』
開いたドアの向こう、同じようにドアノブに手を掛けた恋人がはにかんだ笑顔を浮かべた。
でもそれは涼介の淡い夢の映像であって、実際は暗く寒々しい玄関が視界に映っただけだった。拓海の姿も、明かりもない。
(やっぱりいないのか?)
乱暴に靴を脱ぎ捨て、冷えた廊下を抜け、リビングに進む。
『お帰りなさい』点けっぱなしの明かりは、拓海の笑顔と同じ。
『ずっと待ってたんですよ』そんな囁きさえ含んでいるように思う。
けれどやはりリビングは真っ暗で、拓海の気配は少しも感じられなかった。
(・・・虚しいな)
誰かが帰りを待っていてくれる。そんなささやかな幸せを知らずに育ってきた涼介にとって、この生活は幸福すぎたのかもしれない。
藤原拓海は家族よりも愛おしい。
だからこそ、胸が張り裂けそうなほど涼介は落胆した。こんな不安は実家では味わったことがないのだ。
(いない・・・)
涼介は次々と明かりを点けながら拓海の姿を捜した。
リビングも寝室も風呂場にも、拓海の姿はなかった。
部屋中の明かりを点け終えて、ここに拓海は居ないのだと納得した涼介は、ようやく手にしていた鞄をソファに放った。
(オレは中毒患者か)
コートを着て、鞄を手にして、ビニール袋も下げたまま。拓海の姿を探す以外何も考え付かなかった。
肉まんの入ったビニールをテーブルに放り、どかりとソファに座り込む。見上げた先のライトが憎らしいほど眩しくて顔を顰めた。
(一体どこい行っちまったんだ。配達か? しかし車はあるしな・・・)
同棲を始めた今も、拓海は豆腐の配達を続けている。
部屋を借りることは簡単だった。多忙な長男の体調を案じていた両親からは何の反対もなく、甘えん坊の弟も渋りながらだったが納得してくれた。
ただ、拓海の父親からは”豆腐の配達は週の半分”という条件を出されてしまった。
しかし、話し合いの結果、豆腐の配達は月・火・木曜日だけと決まったはずだ。今日は金曜日だし、外にハチロクがあるということは、緊急に親父さんに呼び出された可能性はゼロだと言える。
(他に思い当たるようなことはないな・・・配達でもないとなると・・・ダメだ、思い浮かばねぇ)
真夜中の1時、ハチロクがある上に電気が消えてるというシチュエーションは、一体何を意味するのだろうか。
コートを脱ぐことも暖房を入れることもせず、涼介は一人頭を抱え込んだ。
つづく
mametaさんからのリクエストです。(9000HIT)
もうちょっと続きます。
2004.11.24 (2005.02.05微妙に修正) back