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すぐそこにあるヒミツ (前編)
『本気で取り組む覚悟があるのなら女を作るな』
プロジェクトDの初めてのミーティングで涼介はそう言った。
(女を作るな、か・・・)
拓海はあの時の涼介を思い出して一人ニヤニヤと笑った。
”恋愛にかまけてる暇があったら走り込めよ”とダブルエースである拓海と啓介に言っていた涼介。大学と最速理論のことしか頭にない彼は、あの時いつもと変わらない気難しい顔をしていた。
涼介の言うことはごもっともだ。
もう一人のエースである啓介はどう思ったかわからないけれど、自分は車と恋愛を掛け持ち出来るような器用さは持ち合わせていない。だから、涼介のセリフを横暴だとは少しも思わなかった。
それなのに。
チームが発足してたった1ヶ月。
恋愛御法度と言っていた張本人が、自分に告白してきたときには驚いた。
”お前が手に入るなら決まりなんか破ったって平気だぜ。要はバレなきゃいいんだからな”
偉い人が偉そうなことを言うとすんなり納得させられてしまうのだから不思議だ。
少なからず涼介のことが気になっていた拓海は彼に流されるまま付き合い始め、どこでどう一線を越えてしまったのか、今では肉体関係まで持ってしまっている。それこそ、当たり前のように肌を重ねている。
(気が付いたら無茶苦茶好きになってたんだよな・・・)
始まりはどうであれ、拓海は涼介と恋人という関係になっていた。
それを後悔したことは一度もない。
ただ、秘密の恋愛がばれないように細心の注意を払わなければいけなくて、拓海はちょっと気疲れしていた。
赤城での走り込みの日。
数本の走り終えた拓海はガードレールに寄り掛かってぼんやりしていた。
肌に当たる風は少し暖かくなってきていて、夏の訪れが近いことを知る。山にいる時間が長くなったせいで、季節の変化に敏感に反応するようになってきた。そんな自分を、まるで別人のように感じることも増えた。
(涼介さんのおかげだよな・・・)
一年前の自分と、今の自分。
どこがどう変わったかはっきり解らない。
もしかしたら悪い方に変わったのかもしれない。
けれど、涼介はこんな自分を好きだと言ってくれるのだ。良いにしろ悪いにしろ、拓海は今の自分を少しは好きだと思えるようになっていた。
(こんなオレが好きだなんて、涼介さんはやっぱちょっと変な人なのかも)
そう思って笑えるのは、愛されているゆとりがあるからだろう。
出来ればもっと一緒にいたい。涼介の家にも行ってみたい。たとえ涼介がレポートに付きっきりでも、パソコンに向かっている彼の背中を眺めながら一日を過ごせれば幸せなのに。
でも、そんな夢みたいなことが叶うのは、おそらくDが解散してからになるだろう。
涼介が言ったセリフ。
”女を作るな”
その言葉を、言った本人があっさり破ってしまったなんて、他のメンバーに知られるわけにはいかなかった。
涼介の信頼が失墜したらこのチームはどうなってしまうのだろう。
(涼介さんのことだから何か考えてるんだろうな・・・)
あの恐ろしく頭の良い涼介が無鉄砲に行動を起こすことはまずないだろう。そうじゃなかったら涼介の誘いに乗ることはなかった・・・と思う。
(涼介さんが考え無しだったら・・・好きにならなかったかも)
行き当たりばったりなボーっとした涼介を想像して、拓海は小さく笑った。
「藤原、なに一人で笑ってんだよ」
「あ、啓介さん」
「よう」
いつのまにこんなに近くに来ていたのか、同じく休憩をもらったらしい啓介が携帯を片手に立っていた。
鮮やかなオレンジ色の携帯は涼介と色違いで、なんとなく目のやり場に困る。
プイと横を向いてしまった拓海の横に、啓介は並んで寄り掛かった。
「オレさ、お前に訊きたいことがあるんだけど・・・」
啓介は珍しく言い辛そうにしている。
「なんすか?」
「お前、女いるだろ」
いきなりの言葉に拓海は小首を傾げた。
「女、いるんだろって訊いてんだよ」
「女? まさか、そんなのいるわけないでしょ」
「嘘つくんじゃねぇよ、これ見ろよ、決定的証拠だぜ」
啓介は携帯を開くと拓海に手渡した。
「あ・・・」
一目でわかる被写体。
液晶に映っているのは”藤原豆腐店(自家用)”と書かれたハチロクだった。
しかし、これが”決定的証拠”とは、一体どういうことなのだろうか。
「ウチの車がどうかしたんですか?」
「おまえなー、もうちょっと驚けよ。オレが言ってるのはハチロクが出てきた場所のことだよ。この場所、見覚えあるだろ?」
「場所?」
改めて写真を見直してみる。ハチロクはどこかの駐車場から出てくるところらしい。
手前に見えるレンガ造りの塀、出入り口に光る派手な看板。
しかし看板には、肝心な文字は写っておらず、枠を飾る安っぽい電球が煌々と光っていた。
(でもこれ、どっかで見たことあるような、ないような・・・)
拓海が黙って考え込んでいると、啓介が痺れを切らして言った。
「ラブホだよ。渋川のラブホ街のラブホ! お前、出てきたところ写真撮られてんだよ」
「は?」
「ったくよ、恋愛禁止だってアニキ言ってただろ? 本気で走らなきゃいけねぇっつーのに、お前はそんな余裕あるわけ? オレもなめられたもんだぜ・・・」
渋い顔の啓介を見ていられず、拓海は視線を携帯に戻した。
言われてようやく思い出した。見覚えのある塀、赤い看板、確かにここには行ったことがある。
(やべ・・・これ、一昨日涼介さんと行った時のだよなぁ・・・うー、どうにかして誤魔化さないと)
拓海なりに考えた結果、口から出たのは
「これ、ウチの車に似てるけど違うんじゃないんすか?」
といういい加減なセリフだった。
流石に啓介も呆れたようで、白い目で拓海を眺めていた。
「あの?」
「バカ!どっからどう見たってお前んちのだろ! 藤原豆腐店なんて書いてあるハチロクが他に存在すると思うか?」
「・・・ないです・・・か?」
「ねぇよ」
「じゃあ、運転してんのはオヤジ?」
「あのなー、いくらおまえんちのオヤジさんがオバさん連中にモテたとしても、オヤジさんはこんな頭じゃねぇだろ」
「あ・・・そっか」
確かに、写真に写るサラサラの髪は父親のものとは全然違う。
カツラかもしれませんよ?
と思わず言いそうになったけれど、また白い目で見られるだけだ。他に言葉が思い浮かばなくて、拓海は口を噤んで俯いてしまった。
「どう見たってこれはお前だぜ。ほら、怒らないから、さっさと認めちまえよ」
じーっと自分を見ている視線に居心地の悪さを覚える。
誤魔化せない以上、シラを切り続けて啓介を怒らせてしまうのなら今のうちに認めてしまった方が利口だろう。
ただ、相手のことだけ言わなければいいのだ。
自分一人が悪ければ涼介が責められる心配はない。
「・・・これ、オレみたいです・・・」
「お前、可愛い顔してやることやってんのな・・・なんかショックだぜ」
なにがそんなにショックなのか、啓介は大袈裟なくらい大きな溜め息を吐いた。
「可愛い顔って言ったってオレだって男ですよ。啓介さんだってそうでしょ?」
「オレは走り屋始めてから女なんていねぇの!そりゃあ好きなヤツくらいはいるけどさ、アニキが恋愛禁止って言うんだから我慢してんだよ」
「それは大変ですね」
「他人事みてぇに言ってんじゃねぇよ。お前、アニキの言ったこと聞いてなかったのか?」
「聞いてましたよ」
「聞いてたならなんで女とラブホなんて行くんだよ。兄貴の命令は絶対だろ」
(絶対・・・かぁ・・・)
たしかに啓介の言う通り、涼介の言うことは絶対だ。
でも、その涼介が迫ってきたのだから、この場合は命令と命令違反のどちらに従えばいいのだろうか。
(あー、でも、OKしたのはオレだから、やっぱオレが一番悪いのかな・・・)
なんだか複雑な心境だ。
「で、その女とはマジで付き合ってんのか? どんな女? お前より可愛いのか? 胸、デカイのか?」
「そんな付き合ってるような女なんていませんよ」
(相手、男だし・・・)
「じゃあこの写真は何だよ。マジじゃなかったら遊びか?遊びでホテル行ったのか? うっわ、お前、以外とやるな・・・」
ひとりでブツブツ言っている啓介を横目に、拓海は少しずつ離れていくと、こっそり背を向けた。
(逃げよ・・・)
これ以上詮索されたらボロが出てしまうかもしれない。
しかし。
「あ、こら、藤原!」
一歩踏み出したところで、襟首を掴まれてしまった。
「オレの話はまだ終わってないぜ、逃げんなよ」
拓海は振り返るとキッと啓介を睨んだ。
「正直に答えたんだからもう話すことはないでしょ!だいたいこんな写真撮るなんて、啓介さんはオレのことずっと見張ってるわけ?無茶苦茶悪趣味ですよ!サイテー!」
「あー、それな、オレじゃねぇ。ケンタが撮ってきたんだ」
「え」
「わー!」
いきなり響いた叫び声に、拓海と啓介は声がした方向に顔を向けた。
「啓介さん!!」
近くに停まっていたS14の影から飛び出したのはケンタだった。
「なんで言っちゃうんですか!」
素早く駆け寄ってきたケンタは啓介の口を塞ごうとする。
しかし啓介の長い足がケンタを押し返し、近付くことは出来なかった。
「啓介さん!オレのことは内緒だって言ったじゃねえっすか!」
「あー、言ったけど約束はしてねぇ」
啓介は悪びれた様子もなく言い放ち、ジーンズのポケットからタバコを取り出した。
慣れた手つきで火を点けると一口吸い、ケンタの顔に向かって煙を吹き付ける。
「お前が撮ったのは事実だろ」
「ひどいっすよ〜」
「あのさ!」
拓海はごほごほと咳き込むケンタに近寄ると
「あんた、オレに恨みでもあるんですか?」
と、ドスの利いた声で呻った。
「な・・・」
ケンタは目が据わっている拓海を見るのは初めてだった。
普段ぼんやりしている拓海は、キレると結構怖い顔をする。それがまた可愛いと思う輩は多いけれど、ケンタはそうは感じなかった。
拓海の変貌に、思わず後ずさりをする。
「うっ、恨みはないけど、オレはお前が気に入らないんだ!いっつも啓介さんにベタベタしやがって」
一応応戦してはいるけれど、年上の威厳は少しも感じられない。
(勝手に写真なんか撮ってるくせに謝らないなんて、こいつ、ばかじゃねぇのか?)
怒りが収まらない拓海が更に文句を言おうとしたとき、傍観者になりつつあった啓介が間に割って入った。
「ケンタ、オレは好きで藤原にベタベタしてんだよ。お前が怒ることじゃねぇだろ」
「だって〜」
「お前はあっち行ってろ。話がややこしくなる」
「う・・・ひどいっすよ、啓介さんの意地悪〜〜!!」
ケンタは似合わない涙を目に浮かべ、史浩や松本達の方に走り去って行く。
(・・・なんなんだよ、一体・・・)
拓海は大きく溜め息を吐くと、啓介に向き直った。
「啓介さんがオレなんかに構ったりするからあの人オレに突っかかって来るんですよ。もう、勘弁して下さいよ」
いつもいつも事あるごとに突っかかってくるケンタが、実のところあまり好きではない。特に自分と関係が深いわけではないからどうでも良いかなと思うけれど、正直に言えば鬱陶しい。特に今回のようなことをされては当たり前だろう。
(よりによってあんな写真撮りやがって!)
そんな拓海の訴えを気に留めた様子もなく、啓介はタバコを吹かしている。
「ケンタの事なんて気にすることねぇよ。それよりさ、お前この先その女と関係続けてくわけ?」
「だから女なんて居ないって。啓介さん、ちゃんと人の話聞いて下さいよ」
(ったく、しつこいなー・・・)
そろそろ休憩も終わりだというのに、いつまでこの話題を続ける気なのだろうか。
呆れて啓介から視線を外すと、その肩越しに人影が見えた。
(あ・・・!)
クリップボードを脇に挟んだ涼介がこちらにやって来るところだった。
沈みかけた拓海の心は一気に浮上する。
「遊びでホテル行ったってオレは軽蔑なんかしないぜ」
啓介のことなど既に頭にない拓海と、近寄ってくる涼介の気配。
二つの変化に気付かずに、啓介は視線の先にいる拓海に向かって真剣に話し続けている。
「本気じゃねぇならさっさと別れちまえよ。でさ、オレと・・・」
そう言って正面に立つ拓海に一歩近寄る。どういうわけか鼻息が荒いけれど、涼介のことしか見ていない拓海は全く気付かない。
そして。
何か重大な決意をしたかのように、啓介が口を開いた。
「オレと一緒にホテ」
「啓介」
「うわっ!」
肝心な(だったらしい)セリフの最後は、背後からの自分を呼ぶ声で消されてしまった。
「誰だよ!」
苛々しながら振り返ると、そこにはチームリーダーである自分の兄が立っていた。
「アニキかよ! ったく、気配消すなっつーの・・・」
ドキドキする胸を撫でながら、手にしていた携帯を慌ててポケットにしまう。写真のことがばれたら拓海の立場がやばくなってしまうのではないかという啓介の配慮だった。
その不自然な弟の行動に、涼介の眉間に縦皺が走る。
「携帯がどうかしたのか?」
「なんでもねぇよ。それよかなんか用事でもあんの?」
「休憩時間はもう終わりだ」
涼介は携帯について詮索することなく、クリップボードに綴じられた資料に目を落とした。
啓介は内心ホッとしつつ、横に立つ拓海の顔色を伺った。
(こいつ、不安がるってことないのか?)
顔色ひとつ変えずにいる拓海に、啓介は舌を巻く。
(大物すぎるぜ・・・ナイスだ・・・)
二人の関係を知らない啓介は大きな勘違いに気付かない。涼介にばれたところで拓海としては少しも困ることはないのだ。
「啓介はもう少し待っててくれ。ちょっと気になる箇所があるんだ」
「はいよ」
「ハチロクのチェックは済んだから、藤原、早速走ってきてくれ。軽く2本、流してくる程度でいい」
「はい」
涼介の言葉に頷くと、拓海は何事もなかったように啓介の元から去って行く。
その姿を、兄弟は肩を並べて追いかけた。
つづく
芽美さんからのリクエストです。(11000HIT)
長くなってしまったので2回に分けました。後編で終わります。
2005.03.02
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