| back 彼の歌声 「藤原」 背後からの声に拓海は振り返る。 そこにはセッティングのメモやデータやが書き込まれたクリップボードを手にした松本が立っていて、リーダーである涼介のチェックを受けて戻って来たところだった。 「どうでした?」 ドキドキしながら松本の表情を伺う。 (テストの答案用紙が返ってくるときみたいだよな・・・) 今の走りは涼介に気に入ってもらえる出来だっただろうか。あまり良い感触が得られなかった拓海は、少し緊張して言葉を待った。 松本の優しい目元が唇と一緒に笑みを浮かべる。 「涼介さんからOK出たよ。もう撤収していいって」 「はい」 (良かった〜) 走り込みも2桁に入ってやっと涼介はデータに満足してくれたようだ。 拓海はホッと肩の力を抜く。 「お疲れさん。オレ達も早く片付けないとな」 松本が隣で作業しているFD班を指差した。FD班は一足早く撤収作業に入っていて、啓介は既にタバコを吹かして休憩していた。 地面に散らばっていた工具を慣れた手つきで工具箱にしまいながら、松本が言った。 「久しぶりに飯でも食べてく? 啓介さんが奢ってくれるって言ってたけど」 「啓介さんが?」 珍しいですね、と拓海は驚きの声を上げた。 「モーニングで大勝ちしたからだって」 「だからかー」 いつも涼介に奢らせる啓介が人に奢ろうだなんて、そんな理由でもなければ有り得ないことだ。 可笑しくて、拓海の笑いは止まらない。 「どうする? こんな機会は滅多にないよ? それに啓介さんの機嫌を損ねるのもちょっとどうかと思うし」 (啓介さんの機嫌はどうでもいいけどタダ飯ってクラクラするよな・・・) 万年貧乏の拓海にとってタダでご飯が食べれるなんて、すぐにでも飛びつきたいおいしい話だ。 (でもな・・・) バタン! とハチロクのボンネットを閉めると、拓海はいつもと同じ返事をした。 「あー・・・えーと、もうちょっと考えます」 「そうなの?」 意外そうな顔の松本に、明日も仕事だし、と定番のセリフを付け加える。 (変に思われたかな・・・) ここのところDのメンバー達と一緒に食事をしていない。 涼介との待ち合わせを優先させているからだった。 たまには付き合った方がいいと思うのだが、涼介に訊いてみないと返事は出来ないだろう。迂闊に返事をして涼介の機嫌を損ねるのはイヤだ。 「いい返事、期待してるよ」 涼介と拓海の関係を知らない松本は、気さくな笑みを浮かべて機材車に吊していた照明を切った。 (涼介さん、今大丈夫かな・・・) 涼介がいる機材車の近くまで来た拓海は、ぼそぼそと聞こえる声に足を止めた。 (誰かいるのかな。そしたら訊けないし・・・困ったな) 車の影からこっそり覗いてみたけれど、涼介以外の姿は見当たらない。 (なんだ、一人じゃん) 話し声、ではなく独り言だったようだ。 涼介はディレクターズチェアに座り、黙々とパソコンのキーボードを叩いている。こんな夜の峠でそんなにたくさん打ち込むデータがあるのだろうか。拓海にはよく解らない。 (全然気付かないな) 機材車に隠れてしばらく眺めていたけれど、涼介は拓海の気配に気付いた様子もない。 (そうだ!) どっしり構える広い背中を見ていたら、悪戯心が涌いてきた。 (ちょっと脅かしてみよ・・・) 拓海は足を忍ばせ涼介に近付いて行く。 そーっと、ゆっくり、服が擦れる音に気を使いながら前へ進む。 (ん) あともう少しで涼介の肩に手が届く・・・というところで、拓海の動きが止まった。 止まった。という表現は少々意味が違って、どちらかと言えば 固まった に近い。 (・・・・・・・・・) 数秒ほどして、拓海はゆっくり後退し、機材車の影に戻っていく。 そして、涼介を視界から消したところで立ち止まると全身の緊張を解き、盛大な溜め息を吐いた。 「あれ、藤原?」 「うわっ」 背後からの声に拓海はビクリと肩を揺らす。 (し、心臓止まるかと思った・・・!) その驚きように顔を顰めた啓介は、機材車の影から涼介の居る方を覗いた。 「お前こんなとこで何してんの?アニキいるんだろ?」 「えーと・・・だって涼介さん、なんかデータ入力してるみたいで声掛けづらくて」 「そんなに気ぃ使うなよ」 啓介は苦笑しながら涼介の名を呼んだ。 振り返る、カッコイイ涼介の顔が、拓海の目に眩しく映る。 (言えねぇ・・・絶対ぇ言えねぇ・・・) 拓海はその場から脱兎のごとく逃げ出した。 涼介さんが『マ○ケン○ンバU』を口ずさんでたなんて・・・!!! 啓介には不審に思われただろうけれど、このことは口外してはならないと拓海は心に誓ったのだった。 END 涼介の声にこの曲はピッタリだと思うのですが・・・。 歌の上手い涼介と、音痴の涼介。どちらの方が涼介らしいでしょうか。 2004.11.09 web拍手送信完了画面用にアップ。 2005.03.29 D部屋1周年用に加筆修正。 back |