| back 白衣のポケット 「・・・しまった」 大学での実習中、涼介は珍しく苦い声を漏らした。 手にしていた駒込ピペットをビーカーに戻し自分の白衣に目を向けると、その汚れ具合に愕然とした。シャーレに入れ損ねた細菌検査用培地はきれいな白衣に黄色い染みを残してしまっていた。粘度の高い液体は常温に戻ると固まってしまうから、このまま放置していたら洗い落とすことは困難になってしまう。 涼介は白衣を脱ぐ為に大きめのボタンに手をかけた。 (徹夜続きが祟っているな・・・) ここのところのハードなスケジュールに頭と体のバランスが崩れ気味になっている。このまま実習を続けていてもまた失敗するかもしれない。 実習室の時計は既に3時を回り、涼介以外の姿は見えなかった。おそらくそれぞれが仮眠室と呼んでいる狭いスペースに引きこもってしまっているのだろう。 自分もそうしたいのは山々だ。しかし、そんな時間のロスは許されなかった。 (明後日にはDのミーティングがあるからな・・・) データさえ正確に採れれば別段自分が行かなくても良い。遠征を控えているとはいえ、史浩やメカニック達に任せておけば何の問題もないからだ。 けれどデータとは別の理由で涼介にはどうしてもミーティングの行われる赤城山に行きたかった。 「そういえば」 涼介はあるものの存在を思いだして、脱いだばかりの白衣のポケットに手を突っ込んだ。 染みはポケットにまで広がり、ベタベタした不快な液体が中まで達している。 (やばい) 目的のものをポケットから引っぱり出すと、その有様を見て涼介は溜め息をついた。 (遅かったか・・・) 愕然とする涼介の手には、水分を含んで波打ってしまった一枚の写真。 「藤原が・・・・・・」 そこに写っているのは自分が立ち上げた県外遠征チームの若きダウンヒルエースの姿だった。 メールを打つふりをして隠し撮りした、藤原拓海。 啓介にじゃれつかれて浮かべた困ったような笑顔は、あまり見ることの出来ない貴重なものだった。 涼介はその画像を印刷し、疲れたときや悩みがあるときに眺めていた。タバコや睡眠よりも癒しのパワーに満ちている拓海の笑顔。 けれど、写真に写る拓海にはベタベタした液体に侵されていた。印画紙は水に弱い。ふやけ始めたそれは、彼と弟の姿を区別できなくなりつつあった。 それでも、そこにいるのは拓海に違いない。 「こうなってしまっても・・・捨てられないな」 画像は保存してあるし、またプリントアウトすればいいのだけれど、被写体を想うと心が痛む。どんな形になってしまっても、そこに拓海が写っている以上捨てられそうになかった。 「・・・重症だぜ」 言葉とは裏腹に、涼介は満足そうな笑顔を浮かべていた。 告白できない上に隠し撮りした写真を持ち歩き、その写真一枚にこれだけ愛しさを抱く自分。 意外な一面に驚きながらも、涼介は初めての片想いを楽しんでいた。 (余裕ぶってる場合じゃないけどな) 拓海の魅力に誰もが心奪われてしまうはずだ。 一刻も早く、他の誰かのものになってしまう前に早く手に入れてしまわなければ。 涼介はただのゴミ屑になってしまった写真を実験台に置くと、水道の蛇口を捻った。 (どうするかな・・・) 拓海を手中に収めるための計画はまだ実行に移す段階ではなかった。藤原拓海に関するデータはまだ不足しているし、自分の存在をアピールするにもとにかく顔を合わせなくてはいけない。 威勢良く流れる水の音を聞きながら、少しずつ、確実に、拓海の心を支配するための方法を編み出そうと、涼介は高性能な頭脳をフル回転させる。 こうやって拓海のことを考えていると、睡魔はあっと言う間に去って行くのだから自分は本当に重症だと思う。 (待ってろよ、藤原・・・) 何かを思い付いたらしい涼介は、口元に不敵な笑みを浮かべていた。 その表情は、おそらく彼の本来の性格を表したものなのだろうと、思われる。 END 涼介さん、実習中に珍しくミスしました。(誰もいないときに、というのが彼らしいと思います) 培地の染みは消えないので早く洗って下さい。(染みのある白衣を着ている涼介なんてなんかイヤだ) 片想いの話は書いていてとても楽しいです。くせになりそう・・・(笑) 2004.10.14 web拍手のお礼用にアップ。 2005.03.23 D部屋1周年用に加筆修正。 back |