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眼鏡
「おーい拓海〜!」
下駄箱を出て校門に向かって歩き始めた拓海に、よく通る大きな声がかけられた。
振り返ると転びそうになりながらイツキが駆け寄って来るのが見えた。慌てているのか靴の踵を踏んだままだ。
「お前、今日バイト休みだろ? で、特にたいした用事もないよな」
「ああ? うーん・・・まぁそうだけど」
「じゃあさ、今日の夜迎えに行くからなっ」
「迎えに? またどっか行くのか?」
立ち止まって、踵を直すイツキを見下ろす。
「池谷先輩の車でちょっとな」
顔を上げて答える言う親友の鼻の穴はかなり膨らんでいる。興奮しているのか何かを自慢したいのか、そのどちらかだろうけど特に興味はない。
「ふ〜ん」
「なんだよ〜、どこに行くのか気にならないのかよ〜」
「別にたいしたとこじゃないだろ」
拓海はあくびを盛大にしながら再び歩き出した。
今日は土曜日、しかもバイトは休みだ。ポカポカ陽気だし、こんな日は早く帰って昼寝をしたい。
「峠に行くんだぜ!」
「とうげ? ・・・そっか、じゃあ、帰り遅くなるんだな・・・」
だったら尚更、昼寝しておかなければ豆腐の配達に響く。
「あのなぁ、もうちょっと反応しろよな。興味がないのは分かるけどさ、今日はバトルがあるんだぜ!」
「へぇ」
「反応薄っ!」
「んだよ、ちゃんと相づち打っただろ」
「そうだけどさ、お前相変わらず冷めてるっていうかさ。誰がバトルやるかとか知りたくねぇの?」
「んー・・・」
「高橋兄弟」
ドキッと、心臓が大きな音を立てたような気がする。それくらい、その名前に反応した。
なぜそうなのか心当たりはある。けれどそんなことをイツキに察知されるのは困る。拓海は返答しなかった。
「つっても高橋涼介はお前に負けて引退しちゃったから弟の方しか走らないんだけど」
「でも、来るんだろ・・・」
心の中で『涼介さんも』と付け足す。
名前を口にするのは躊躇う。その名前を言うのは、耳にする以上に動揺すると自覚している。
「そりゃあ勿論、二人揃ってるだろうなぁ」
「そっか・・・そうだよな・・・」
拓海は感心なさそうに呟いて、歩く速度を少し速めた。
◆ ◆ ◆
高橋涼介のことが気になる。気になって仕方がない。
拓海は、手にした眼鏡を弄りながらため息を吐いた。
(バカだよなぁ・・・オレ・・・)
イツキと別れた後、遠回りをして商店街の廃れた眼鏡屋に寄った。そこの店の外には安いサングラスや度なし眼鏡が並んでいて、拓海はその中からひとつの眼鏡を買った。いくつかかけてみて、自分の顔に似合うものを慎重に選んだのだが、そこまで悩む必要はなかったのかもしれない。
そもそもこんな眼鏡を買おうと思った理由が馬鹿馬鹿しくて、今更だけど少し後悔もしている。
(こんなんで誤魔化せないかもしれないのに)
今夜のために買った眼鏡。
峠に行って、涼介を遠巻きに眺めるために買った。
変装、と言ったら大袈裟だけれど、涼介をじっくり眺めたくて、そんなふうに見ている自分を気付かれたくなくて、小道具として買ったのだ。
イツキや池谷に知られたくない。涼介に気付かれたくない。誰にも、気付かれたくない。
自分の顔は決して目立つ方ではないと思う。でも、万が一ってこともある。
眼鏡ひとつで人相が変わるのなら用意しておくのも手だろう。
子供じみたことをしていると思うけれど、何もしないよりはマシだ。
これで涼介をじっくり見れるのなら。
(買っちゃったんだし、使わないともったいないし・・・)
拓海は自分に言い聞かせるように頷くと、眼鏡を机の上に置いてベッドに寝転がった。
その夜。
峠は大勢のギャラリーで賑わっていた。
イツキ達は峠の中腹のコーナーでバトルを眺めるのだと徒歩で下りて行ったけれど、拓海は『あとで追いかけるから』とスタート地点にとどまった。
(イツキ、ごめん)
遠ざかっていく親友の背中を見ながら拓海は心の中で小さく謝った。
ああ言ったけれど、本当は追いかけるつもりなんて少しもなかった。
バトルを見たいとも思わない。勝敗なんて気にならない。
第一、今の様子から見ても、あの黄色いFDが勝つのは確実だと思う。対戦に相手だと思われるドライバーは粋がってはいるけれど、どこか落ち着かない様子だし、雰囲気に負けている。素人の自分から見ても心配に思うほどだ。
だから尚更、ここにいて涼介を見ていたい。
(そんなふうに考えるなんて、オレってかなりヒドイ奴かも・・・)
こんな場所に来ておいてバトルを見なかったなんて高橋啓介に知られたら思い切り怒鳴られそうだ。
(でも)
軽い深呼吸をしながら、拓海は自分に言い聞かせた。
こんな機会は滅多にない。大勢のギャラリーに紛れて、涼介を見ていられるなんて。
眼鏡をかけ、ゆっくりと周囲の様子を伺う。
走り屋、と自称している男達。彼らを押し退けて、露出度の高い服を着た女の子達が黄色い声をあげている。
ほとんどが高橋兄弟目当てに来ているのだとわかる。2台の車の騒音を縫って、彼らの名前が何度も聞こえた。
(女ってうざったいよな・・・)
匂いのキツイ香水に顔を顰めつつ、拓海はずれた眼鏡をかけ直す。
(これじゃあ眼鏡なんて必要ないかも)
あまりにも人が多すぎて。誰も自分に気付かないかもしれない。
一瞬外してしまおうかと考える。
(でもやっぱり・・・)
こんな場所でバトルではなく涼介だけを見ていたら変に目立つかもしれない。
万が一を考えて、拓海は眼鏡をかけ続けることにした。
(涼介さん、どこ行っちゃったんだろ・・・)
啓介勝利のバトルとその後のタイムアタックが終わって、スタート地点は一気にくつろいだ雰囲気になった。
この場所はいつもこんなに緊張するのかと、拓海は改めて思い知らされた。
バトルの様子が分からない分、涼介達の携帯のやり取りが全ての情報になる。それを聞く為にギャラリー達も静寂に支配される。何とも言えない緊張感。
遠ざかるスキール音、報告の声。
結果はあっけないほどの啓介の圧勝だったが、拓海もいつのまにかそれらに集中してしまって結局は涼介を眺めるどころではなかった。
そもそも涼介はワゴン車の影に隠れてしまっていたらしく、ほんの数回、バトル前に見れただけだ。
(・・・仕方ないよな、涼介さんだってバトルに集中してるんだし)
ガードレールに張り付いている女の子の壁の後ろから、反対側に停まる車に視線を向ける。その中のひとつ、視界に真っ先に飛び込んできたのは涼介の愛車だった。
闇夜でも輝いているその車体。
きれいだな、と思う。
(白い彗星なんて、初めて聞いたときは恥ずかしいフレーズだなって思ったけど)
だけど、今では頷ける。
乗り手と車と、こうまでもイメージが重なるなんて面白いくらいだ。
どの車が格好いいとか、今でもあまり興味はないけれど、父親のハチロクと涼介のFCだけは特別なもののように感じるようになった。
(ハチロクと涼介さんのとじゃ、ちょっと違う感じだけど・・・でもやっぱ、好きだよな)
リトラも、古いけど存在感のあるデザインも。その車に愛情を注いでいる涼介も、全てが好ましい。
一人物思いに耽るように、拓海は長い間、眺めていた。
「藤原」
少し離れた場所から、誰かの呼ぶ声がした。
でも、こんな場所に自分のことを名字で呼ぶような知り合いはいない。
同じ名字の人がいるのだろうと、拓海はその声に振り返ることもなく、イツキを探そうとキョロキョロしていた。
ギャラリー達は少しずつ減り、ここに残っているのは兄弟を目当てにした人か、もしくは帰っても暇な人ばかりだろう。豆腐の配達のこともあるし、出来れば早く帰りたい。これ以上ここにいたって涼介に近づくことはできないし、見つかるのも嫌だった。
拓海は街灯やレッドサンズが持ち込んだ照明から逃げるように足早に暗がりへ移動した。
「藤原?」
どういうわけかあの声が近くから聞こえた。それに伴って背後のざわめきが一瞬だけ強くなる。
(ん? 人違いでもしたのかな。・・・だいたいこんな場所で人捜しなんて無謀だよな)
夜の峠は人捜しに不向きだ。いくらたくさんの車が停まってヘッドライトが照らしていても、街灯が点いていても、道路から離れてしまえばほとんどが暗闇だ。月明かりが届かない場所のほうが多い。
自分もイツキを捜している最中だけれど、池谷のS13を停めてある場所に戻れば確実だ。だから見つからなくても慌てることはない。
他人事のように拓海は歩き続ける。
すると
「どうして知らんぷりするんだ?」
と、また背後から声が聞こえた。低い、咎めるような内容とは裏腹に、それはとても優しい声だった。けれど別に振り返って声の主を見ようとは思わない。
だってこんな場所でイツキ達以外に声をかけてくるような知り合いはいないから。
「こら」
ざわっと、背後にいるギャラリー達が揺れた。一層強いそれが気になって、拓海はようやく立ち止まった。
(なんか妙な雰囲気だな・・・)
視線の先にいる男達が、拓海の背後を動揺した様子で見ている。
(なんだ?)
誰かが言い争いでも始めたのだろうか。
何が起きても自分には関係ないけど、と拓海が思ったところで肩に重みを感じた。
「?」
「藤原、藤原拓海だろう?」
振り向くと同時に小さく名前を呼ばれた。
「・・・・・・・・・・」
その、呼び主の顔は拓海よりも上にあり、逆光でよく見えなかったけど、拓海にはそれが誰なのかすぐに分かった。
嗅いだことのある、清々しい香りがする。整髪料なのかコロンとかそういうものなのかは知らないけれど、一度近くで話したときに嗅いだその香りだけは印象強く覚えていた。
「・・・高橋さん?」
「久しぶりだな、藤原」
高橋涼介が、すぐ目の前にいる。
大勢のギャラリーを無視して、自分だけを見ている。
ありえないシチュエーションに拓海はどうしていいか分からず、ただ涼介の顔を見上げて立ち尽くした。
「何度も呼んだんだけど、聞こえなかった?」
「あ、いえ、オレのことじゃないと思ったから・・・すみません」
「やっぱりお前、おもしろいことを言う奴だな。オレはてっきり避けられているのかと思ったぜ」
「え!? あ、それはっ、そんなことないですっ」
拓海は慌てて首を横に振った。正直な気持ちだった。
「そうか。それならいいんだ」
涼介は小さく笑ったらしい。ふっとかすかに吐息が聞こえた。
あんなに涼介のことを眺めたいと思っていたのに、こんな至近距離では顔すら上げられない。
「えーと、あの、なんか用ですか? オレ、もう帰らなきゃ」
遠巻きに、だけど聞き耳を立てているギャラリーが気になって、拓海は居心地悪そうに言葉を繋げた。
「ああ、悪い。そうだな、ここじゃあ邪魔も多いから・・・そうだな。こっちに来いよ」
そう言って拓海の腕を掴んだ涼介は
「え? こっちって、どこですか!?」
と慌てる拓海を無視してギャラリーの中心へ引き返していった。
「あ」
涼介が向かったのは、先程拓海が視線を注いでいた場所だった。
レッドサンズが陣取っているそこは関係者だけしかおらず、静かな空間だった。
「あれ、アニキ、どこ行ってたんだよ。・・・って、それ藤原か? いたんだ、お前。すげぇ久しぶりだな」
真っ先に拓海に気付いたのは啓介だった。
バトルの勝利に満足したのか、すっきりした顔でFDに寄りかかり、ペットボトルの水を飲んでいる。
「どうも・・・」
涼介のあとを追いながら、拓海は少し小さくなって頭を下げた。
「今日のバトル、どうだった?」
「あ、あの・・・オレ・・・」
案の定の質問に、拓海は立ち止まり、口ごもった。ずっとここにいたからバトルの様子は見ていないなんて言えそうにない。
「お前、どこで見てたんだ? 最終コーナーってことはないよな、あんなとこじゃとっくに勝負は付いてたし」
「えーっと・・・」
どうやって場をしのげばいいのだろう。
返答に困っていると、涼介が
「悪いな啓介、時間がないんだ」
と終止符を打った。
「時間がないってどういうことだよ」
「お前には関係のないことだ」
「でも、話くらいしたって・・・」
「駄目だ」
突き放すような言い方に、啓介は仕方ないと肩をすくめた。それ以上食い下がろうとはせずに
「・・・わかったよ。また今度な、藤原」
と片手で合図をするとどこかに行ってしまった。
「あの、涼介さん・・・オレ、別に啓介さんと話しても良かったんですけど」
「お前、困ってたんじゃないのか?」
「・・・そうですけど。でも」
助け船を出してくれたのはありがたい。けれど、啓介への対応はどこか釈然としないものがある。
「あいつのことはあれでいいんだ。下手に付き合うと話が長くなるからな」
「でも・・・」
「あとでフォロー入れておくから。それならいいだろう?」
「・・・はぁ」
「じゃあ、行こうぜ」
「え? 行くって、ここじゃなくてまだどっか行くんですか!?」
「勿論」
涼介は嬉しそうに頷くと、FDの隣りに停まる愛車に向かった。
「久しぶりに藤原に会えたんだ。滅多にない機会だし、聞きたいこともあるからな」
そう言いながら助手席のドアを開け、拓海をそこに押し込む。乱暴ではないけれど、強引な態度に拓海は少し面食らった。
(涼介さんて、自分勝手な人なんだ・・・)
もっとクールな人だと思っていた。意外な一面をこの短時間に見せられて、でもそれはそれでいい収穫のような気がする。
拓海はおとなしく助手席に座るとシートベルトを締めて、外にいる涼介を眺めた。
「じゃあ史浩、オレはちょっと出てくるから、いつも通りに撤収しておいてくれ。それから・・・」
涼介は近くにいた広報部長を捕まえて、いろいろと指示を出しているらしい。
(やっぱこういう涼介さんが一番いいな・・・)
そんなふうに考えていると、振り返った涼介と目が合った。
にっこりと涼介が微笑み、拓海は顔を真っ赤に染めた。
「お待たせ。じゃあ、ちょっと付き合ってもらおうか」
颯爽と運転席に乗り込み、流れるような動作でFCを動かした。
何事かと白のFCを見るギャラリー達を尻目に、涼介は峠を下っていく。
しばらくの間、その華麗な運転技術に見入っていた拓海は思いだしたように口を開いた。
「あ! あの、涼介さん。オレ、先輩達と来たし、何も言って来なかったから困るんですけど・・・」
「スピードスターズの池谷だよな。わかってる。ちゃんと連絡がいったはずだよ」
「連絡って?」
「藤原はオレが家まで送り届けるって、そう伝えた」
「え? いつの間に??」
拓海は首を傾げる。しかもどうして池谷達と来たのさえ知っているのだろうか。
そう訊ねるより早く、涼介が答えた。
「ついさっきだが、史浩に伝言を頼んだんだ。あのS13には早々に気付いたが、お前のハチロクが来てるって情報は入らなかったしな。そうなると、お前は池谷と一緒に来たんだろうって思ったんだ。当たりだっただろ?」
「そ、ですね・・・。でも、なんでオレなんかに構うんですか。涼介さん、忙しそうなのに」
「さっき言っただろ、お前と話がしたかったんだって」
「・・・・・・」
そうはっきり言われるとなんだかとても恥ずかしい。拓海は視線を外に逃がした。
やがて20分ほど走ったところでFCは唐突に左折した。
そこはまだ山の中で、街灯さえない交差点だった。うっかりしていたら通り過ぎてしまいそうなところだ。そこからしばらく走り続けると、やがて小さな空き地に行き当たった。FCはそこで静かに停まった。
「ここはハイキングコースの中継点になっているんだ。この時期だとわからないけど、桜の名所だったりもするんだぜ」
「はぇ」
「あまり知られていないけどな。で、実はオレも一人で見に来たことがある」
「涼介さんが、一人で?」
「ああ」
涼介が一人で花見に来たなんて嘘みたいだ。でも、桜の木の下を歩く涼介はさぞかしかっこいいだろう、拓海はこっそり想像してみる。
「じゃあ、外で話そうか」
狭い車内に二人きりなのは結構緊張する。外の方がリラックスできるだろうし、距離を取ることもできる。涼介に促されるままに、拓海は車外に出た。
空気はまだ夏の暑さを含んでいた。濃い緑の匂いと山特有の湿気が体にまとわりついて重たい。
「藤原」
「はい?」
「単刀直入に訊かせてもらうが、お前、眼鏡してただろう? オレが声をかけたときには外してたようだが一体どうしたんだ?」
「え・・・それ・・・」
どうしてそれを知ってるのか、と拓海の顔が正直に語る。
「何のためにしてたんだ?」
「・・・・・・」
「顔を隠すためか? 高校生が夜遊びしてると騒がれたくないからか?」
「はぁ、まぁ・・・そんなところです、けど」
本当の理由は全く違うけれど、それは口が裂けても言えない。拓海は涼介の勘違いにありがたく乗った。
が、どういう訳か涼介は声を上げて笑った。
「オレは騙されないからな。大体、お前がそんなの気にするタマかよ。中学から運転しているような奴が、さ」
「・・・ひでぇ」
「だってそうだろ。オレ達とのバトルでお前の面は割れてるんだぜ。堂々とハチロクを運転してたのは誰だよ。今更だろ」
的を射た内容は反論の余地がない。
「じゃあ、どうしてだろうな」
拓海の正面に立って,涼介が優しい眼差しで見下ろしている。
うっかりそのきれいな顔に見惚れてしまった拓海の顔はあっという間に真っ赤にしてしまった。顔が熱くなるのを感じて慌てて下を向く。
二人きりは危険だ。どこでボロが出るかわからない。
「別に,理由なんてないです・・・」
下手なことを言えばすかさず追求されそうで気が抜けない。拓海はゴクリと音を立て、唾を飲み込んだ。
「オレが気付かないと思ったか?」
涼介が僅かに屈んで,ごく間近から顔を覗き込んできた。
「眼鏡をしていてもお前は藤原拓海だ。間違えないよ。それに・・・オレは、どんなに大勢人がいたって、お前だけは見逃さない。そう言い切る自信があるんだ」
「なんで・・・そんなこと・・・」
「お前だけは、絶対に逃がしたくないからだ」
涼介はそうきっぱり言い切った。
(オレ,なんか怒らせるようなことでもした・・・かな)
逃がさないだなんて,かなり恨まれるようなことをしたのではないか。
突然生まれた不安が,勢い良く胸を這い上がってくる。
(やっぱあのバトルのこと,根に持ってるんだ・・・)
涼介に勝ったこと。それをずっと引きずっているのだとしたら,一生嫌われたままになってしまうかもしれない。
「涼介さん,オレ,涼介さんに嫌われてたんですね」
拓海は泣きそうになるのを堪えながら涼介の顔を真っ直ぐ見返した。
その様子に涼介は目を見開く。
「どうしてそうなるんだ?」
「だって,怒ってるから逃がさないなんて言うんでしょ?」
「藤原・・・お前,国語の点数低いだろ」
涼介は肩で溜息を付いた。
「違うんだ。お前が考えているのと全く逆だ」
「逆?」
(嫌いの反対は・・・好き?)
そんなバカな、あり得ない。拓海は何度も瞬きをする。
頭の中が混乱している拓海を面白そうに眺めながら,涼介は話し続ける。
「オレはいつも、どこかの峠に行くたびにお前の姿を捜していたんだ。だからたとえお前が眼鏡をしていようが、お前だけは見つける自信がある」
それはやはり憎たらしいからではないのだろうか。
「藤原、お前だってそうだろ?」
「・・・・・・オレも?」
「お前もオレを捜していただろう」
「え」
拓海は息を呑んだ。
「オレはお前をずっと見ていた。だから気付いたんだよ」
涼介が一歩、距離を縮めた。
「お前もオレを見ていただろう?」
涼介が自分を見ているなんて、これっぽっちも気付かなかった。
嘘だ、からかわれているんじゃないか、涼介が怖くて拓海はじりじり後退する。
「眼鏡で視線を誤魔化せると思った? それとも変装しているつもりだったのか? なぁ、教えろよ」
「りょ・・・」
「こんな口説き文句みたいなこと、男相手に軽々言えることじゃないぜ」
くす、と涼介が少し照れたように笑った。
「って、実際オレはお前を口説いているんだけどな・・・」
「!」
拓海の心臓は早鐘を打ったみたいに激しく音を立てている。涼介に聞かれはしないだろうかと心配になるくらいに。
「藤原、お前はオレを拒絶するか?」
月の光に照らされた涼介は,どこか辛そうに訊ねてきた。
拓海は咄嗟に首を横に振る。
涼介を拒絶するなんて,そんなこと絶対にしない。何があっても,涼介の望むままでいたいとさえ思うのだから。
「そうか」
目を細めて涼介が微笑む。
きれいだと思った。
目が、まっすぐに自分を見ていた。見返した拓海は金縛りにあったように動くことが出来なくなった。
「藤原拓海」
名前を呼ばれて、心臓が大きな音を立てた。
「オレはお前が好きだ」
時間が止まる。
拓海の中の何かがブレーキをかける。フッと、音も消える。世界が止まったような感じさえする。
思考の全てが涼介だけに集中して、まるで夢を見ているような気分だった。他には何も存在しないような、不思議な感覚。
「藤原、お前もオレが好きだろう?」
顔を覗き込まれ、呼吸さえも止まりそうになった。
(好き? オレが、涼介さんを?)
わからない。
ただ、遠くからでも見ていたいと思った。
それだけだった。
その気持ちの先にあるものなんて考えたことがなかった。
(わかんねぇ・・・)
返答に躊躇していると、屈んだ涼介の顔が近づいてくるのに気が付いた。ゆっくり、そっと、探るように迫ってくるきれいな顔から逃げることもなく、拓海は自然と瞼を降ろした。
ふわっと、唇に柔らかいものが触れた。暖かく湿ったそれは、紛れもなく涼介の唇だった。
「嫌だった?」
目を閉じたままでいる拓海の頬を、涼介の大きな手が包む。
その温もりがとても心地よくてずっとこうしていてもらいたいと思った。
「藤原?」
「・・・眼鏡」
「うん?」
「眼鏡してたのは、涼介さんを見てるオレを誰かに知られたくなかったからで・・・でも、それって、気持ちを誤魔化してただけなのかなって、そんな気もします。・・・よくわからないけど」
好きだから見ていたい。その気持ちが恥ずかしくて眼鏡で誤魔化して、適当な理由にしていた。そうなのかもしれない。
「好き、なのかな。オレ・・・」
目を開き、自分に問い掛けるように拓海はゆっくり呟いた。恥ずかしくてたまらないけど、すぐ目の前にある涼介の目をまっすぐ見返す。
「眼鏡を用意してまでオレを見ていたかったのなら、きっとそうなんだろう」
涼介は嬉しそうに言うと、再び拓海に顔を寄せた。
END
pjdさんのアミダ企画で当たったテーマが「眼鏡」でした。
眼鏡ネタをいろいろ考えて、すごく苦労した思い出のある作品です。
提出期限過ぎて、翌朝5時に書き上げたという・・・そんなこと、今じゃもう体力持たないです(苦笑)
2012.08.01修正 (アミダ企画に寄稿 2006.03.01)
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