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処方箋 (ホワイトデー'05)
枕元の携帯が着信音を激しく奏で、拓海はそろそろと手を伸ばした。
「もしもし」と言うのも面倒で、無言のまま携帯を耳にあてると『拓海?』と愛しい声に名を呼ばれた。
半分寝ていた意識があっと言う間に覚醒していく。目を開けると既に室内は暗く、布団の中で小さく丸まっている自分がいた。
『悪い、寝てたか? メール送っても返事がないから電話したんだけど・・・悪かったな』
電話の向こうから聞こえる申し訳なさそうな恋人の声。
どんな目覚まし時計でもここまで威力のあるものなんてないだろう。
普段からそんなふうに思っているけれど、同時に正反対の機能を持っていると思っている。
いきなり耳にしたときは一気に目が覚めてしまうけれど、声に聞き惚れていると子守歌のような心地よさにうっとりしてしまう。気を抜くと再び眠りにつきそうになるくらい、拓海はこの声に弱かった。
『大丈夫か?』
返事をしない拓海に、涼介は更に心配そうな声を出した。
拓海は慌てて声を絞り出す。
「あ・・・すみません、今起きたところです・・・」
『声がだいぶ掠れているな。痛むのか?』
言われて自分の声がいつも以上に枯れていることに気が付いた。喉全体に嫌な痛みを感じる。これは寝起きのせいなんかではなく風邪のせいなのだろう。
「・・・ちょっと痛いです・・・」
拓海がそう答えると、涼介は続けて『頭痛はどうだ? 身体は痛まないか?』と質問してきた。
まるで病院で診察されるような質問にドキドキしながら、拓海は時間をかけて自分の体調を確認した。
「頭はやっぱ痛いです、あと、ちょっとふらふらする感じ・・・関節も痛い気がします・・・」
「腹の具合は?」
「それは大丈夫です」
『で、医者はただの風邪だって?』
「はい。インフルエンザの検査したら陰性だって・・・」
『・・・そうか。拓海はいつも予防接種しないのか?』
「うん」
『来年はちゃんと受けた方が良いな。もう社会人なんだし、やたらと会社も休めないだろ』
「・・そうですね」
『インフルエンザじゃなくてホッとしたけど、風邪にしてはお前の症状は結構ひどいな。これじゃあ今日のデートはやっぱり無理か・・・・・・』
少し残念そうな声色に、拓海は今日の予定を思い出した。
今日はホワイトデーだからと、涼介はデートするためにスケジュールを空けると約束してくれていたのだ。
「すみません、オレ・・・」
朝起きて、頭痛がすると思って熱を測ってみれば38℃を有に越えていた。会社に病欠の連絡を入れ、病院で風邪だと診察されたあと、涼介の携帯に”風邪をひいたので仕事を休みました”とメールを送った。
おそらく涼介は、そのメールを観てから今日のデートがお流れになることを覚悟していたのだろう。そう考えると申し訳ない。
『不可抗力なんだから仕方ないさ。病気の時は眠るのが一番効果的なんだからさ、今日はもうゆっくり寝てろよ』
「はぁ・・・」
風邪をひいた自分が悪いのだけれど、いざ会えないと寂しくて仕方がない。
(会いたかったな・・・)
拓海が心底残念に思ったとき、
『でも、オレはお前の顔が見たいよ』
と涼介が言った。
突然の甘い囁きに、拓海の心臓は一瞬固まってしまう。
そんな一段低いトーンで電話越しに囁かれるなんて思ってもいなかった。携帯に密着していた無防備な耳は涼介の声をダイレクトに頭の中へ響かせた。こんな声で言われてしまっては、風邪で発熱した体も別の熱を帯びてしまって収拾がつかなくなりそうだ。
『見舞いに行ってもいいか? お前の寝顔見たら帰るから』
「え・・・と」
涼介が来てくれる。嬉しくて素直に頷きたい。
(でも・・・)
しばらく悩んでから、拓海は我慢して首を横に振った。
「風邪が移っちゃうと困るから、絶対に来ないで下さい」
涼介の身を案じての言葉だった。
本当は会いたくて仕方がない。
風邪ウィルスの心配なんかしないで涼介の言葉に甘えてしまいたかった。
でも、涼介の顔を見るだけで、自分は本当に満足出来るだろうか。そんなことはない。絶対に欲が出てくるに決まっている。
『寂しいことを言うんだな。オレはこんなにお前に会いたいというのに・・・』
「そんな言い方ないでしょ、オレだって寂しいのは同じなんだからっ」
嫌味を帯びた涼介の言葉に声を荒げた拓海は、ゴホゴホと咳き込んでしまった。
『大丈夫か?』
「う・・・はい、大丈夫・・・」
『ごめん。拗ねて悪かったよ。今日は諦めるから、お前もちゃんと寝て、一日も早く治してくれよ』
「・・・うん」
『じゃあな』
最後はあまりにも呆気ない会話で電話は切れてしまった。
会えないのならもっと話していたかった。でも、風邪をひいているのだから涼介の言うとおりおとなしく寝なくては治るものも治らないのだ。
(どうせオレが悪いよ・・・)
もし風邪をひいていなかったら、今日はどこかの洒落たレストランで涼介の顔を見ながらディナーを食べていたことだろう。
(ったく・・・せっかくのイベントなのにな・・・)
ホワイトデーなんて両想いのカップルにとっては必要ないんじゃないかと思う。今年のバレンタインみたいにお互いにチョコを贈り合ったのなら尚更だ。でも、普段から忙しい涼介と堂々と会えるのはこういったイベントの時くらいなのだから、乗じることが出来ないと結構辛い。
(あーあ・・・)
携帯をたたんで枕元に放り投げる。
寝てる間は涼介とのデートのことはすっかり忘れていたけれど、一度思い出してしまえば会いたくて堪らなくなった。
(もう寝よ・・・)
拓海は掛け布団を頭まですっぽり被ると目を閉じた。
拗ねて尖った唇から規則正しい呼吸が聞こえるようになるまで、たいして時間は掛からなかった。
「おい拓海、起きろ」
布団越しに肩を揺さぶられて、拓海は重い瞼を開けた。
「う゛ーん・・・」
部屋の明かりを眩しいと思いながら布団から顔を覗かせると、ベッドサイドには父親が立っていた。
相変わらず何を考えているのか解らない細い目に、自分もいつかこんな顔になるのだろうかと考えながら、拓海は面倒臭そうに返事をした。
「なんだよ、なんか用かよ・・・」
「随分偉そうな口のきき方するじゃねぇか。人がせっかく届け物持ってきてやったのによ・・・やっぱやめるかな」
「届け物?」
ベッドに寝転がったまま訝しげに見上げると、文太は
「これ、なーんだ」
と紙袋を拓海の目の前にかざした。
「なーんだ?って・・・中年オヤジが気色悪い言い方するなよ。その紙袋がなんだって言うんだよ」
「これを持ってきたのは高橋の兄ちゃんだ」
「は?」
「寝込んでるお前に渡してくれだとさ」
風邪で熱があるというのに拓海は威勢良く上体を起こした。
「涼介さんが来たのか?」
「30分くらい前かな。お前を起こそうかと思ったんだけどよ、兄ちゃんがいいって言うからこれだけ預かって帰って貰った」
「どうして起こしてくれなかったんだよ!」
「なんだよ。兄ちゃんが会わなくていいって言ったんだから仕方ねぇだろ」
「でも、せっかく来てくれたんだし・・・」
「そんなひでぇ声したやつが生意気なこと言うな。だいたい病気の息子を労ろうっていう親の愛情がお前にはわからねぇのか?」
やれやれだぜ・・・と文太はガックリと肩を落とした。
「べっ、別にそういう意味で言った訳じゃ・・・」
「・・・真に受けるなよ、言ったこっちが恥ずかしいだろ」
じゃあ何て答えれば良いんだ?
拓海が返答に戸惑っていると、文太は紙袋をベッドの上に放り投げ、拓海のおでこに手を当てた。
「まだ熱はあるみてぇだな。仕事、明日も休めよ」
「オヤジがそんなこと言うなんて気味悪い・・・」
「”拓海くんをお願いします”」
父親のセリフに拓海は ?マーク を顔中に浮かべた。
「って、あの兄ちゃんに頼まれたんだよ。だからお前には早く治ってもらわないと困る」
(なんだよ。やけに涼介さんのこと言うよな・・・)
いつもだったら拓海が居間に行くまで伝言や預かりものは放置しておくくせに。
拓海の脳裏にひとつの疑惑が涌いた。
「・・・さてはオヤジ、涼介さんに何か貰ったんだろ」
「お前にしちゃあやけに勘が良いじゃねぇか。風邪ひいてる方が頭の回転が早くなるのか?」
と皮肉たっぷりに答える文太の口元は妙にニヤニヤして見えた。
「一体何貰ったんだよ」
「内緒だ」
きっと一般人には手に入れることが出来ないような高価なシロモノを貰ったに違いない。
「オヤジ〜〜」
「ふん」
文太は呻り声をあげる拓海のおでこを小突き、ベッドに押し倒してしまった。
いくら布団に倒れたとはいえ、安布団では結構な衝撃がある。熱で痛む頭はふらふらと不快な感覚を招いた。
「う゛・・・頭いてぇ・・・」
顔を顰める息子に、文太はヤイヤな素振りを見せつつ布団を掛けてくれた。
「病人は大人しく寝てやがれ」
「ちくしょ・・・」
なんだか妙な気恥ずかしさを感じてしまい、拓海の口からはそんな言葉しか出てこなかった。
「で、食べれるなら粥でも作るけど、どうするんだ?」
「・・・ちょっと食べる・・・」
「作ったら呼ぶから、それまで大人しくしてろ。じゃあ、ちゃんと渡したからな」
枕元に転がった紙袋を指差すと、文太は部屋を出ていった。
(なんだろ・・・)
涼介が置いていったという紙袋をうつ伏せの状態で覗いて、拓海は小さく声を上げた。
(あー・・・ホワイトデーの・・・)
中にはキレイにラッピングされたギフト。片手に治まる程度の箱形のものは、おそらく飴かクッキーが入っているのだろう。
拓海は自分の古びた机に目を向けた。そこには淡い黄色のビニール袋が置いてあった。
涼介にあげようと思って用意した、クッキーの詰め合わせ。
今日のために”チョコのお返し”を用意していたのだけれど、風邪のせいで渡すことは早々に諦めてしまっていた。
(やっぱ”家に来て”って素直に言えば良かったかな・・・)
そうしたら父親に頼んで涼介に渡してもらえたのに。
(・・・なんて、これっぽっちも思い付かなかったじゃん)
(だいたい涼介さんがウチに来たら会いたくなっちゃうじゃん。何のために来ないでって言ったんだよ)
涼介が風邪をひいたら一大事だ。そんなことは付き合う以前から身にしみて解っていた。風邪をひいたら涼介に近付いてはいけない、Dの中でもそう決まっていたくらいなのだから。
拓海だって人一倍涼介の健康を心配していたし、その気持ちを涼介はよく知っている。
だから涼介はここまで来ておきながら拓海の顔を見ることなく黙って帰ったのだろう。
(あーあ・・・また先越されちゃったな・・・)
ベッドにごろりと転がった拓海は、一ヶ月前のバレンタインを思い出して苦い顔をした。
あの時も先にチョコを渡したのは涼介だった。
先週から”今度こそ!”と密かに意気込んでいた自分が情けない。デートをパーにしてしまった自分に呆れるならともかく、わざわざ届けてくれたなんて涼介という人間は本当にマメな性格をしている。
こういうイベントに関しては、おそらくずっと涼介に敵うことはないだろう。
(ま、他もだけど・・・)
拓海は仰向けに寝転んだままギフトを取り出そうと紙袋に手を入れた。そして、袋の中にギフト以外の存在を感じ、慌てて袋の中をもう一度覗いてみる。
(なんだ?)
そこにはギフトの他に小さな紙袋がひとつ入っていた。
(薬・・・?)
『内服薬』と明記された袋には【高橋クリニック】と印刷されていた。電話で症状を訊ねてきたのはこれを処方するためだったのかもしれない。
(ほんと、マメ人間だよな・・・)
そつがない恋人の顔を思い浮かべて、拓海は微笑んだ。まだ医者ではない涼介がどうやって薬を入手してきたのかは謎だけれど、近所の内科で処方された薬よりも間違いなく効きそうな気がする。
父親の作ったお粥を食べたらこれを飲んでまた眠ろう。
そんなことを考えていたら、携帯がメールの着信を知らせた。
(・・・涼介さんからだ)
画面に表示された短い文に、またも拓海は笑ってしまう。
”面倒くさがらずにちゃんと服用するように”なんて、本物の医者のような言い回しだ。
(早く治さないとな)
次のデートの日程は解らないけれど、あまり遅くならないうちにクッキーを渡してしまいたい。
涼介を驚かすために約束なんか取り付けないで強引に届けに行っても構わないだろうか。
(大学の駐車場で待つのがいちばん確実かな・・・)
拓海はカレンダーに目を向けると、いたずらっ子のような笑みを口元に浮かべたのだった。
END
ホワイトデーってそれほど盛り上がりませんよね。おかげでなかなかネタが浮かびませんでした。
声の枯れた拓海も可愛いかもしれない・・・と考えてみたり。
文太が涼介から貰ったのは銘酒”森○蔵”でした。これでしばらく文太は涼介の味方です。(何の?)
2005.03.15
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