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星空の下で−8
・・・涼介さん、怒ってる?
FDの派手な音が高橋邸から遠退いた今も、リビングは静まり返っていた。
ひしひしと涼介から怒りを感じ、その重みに耐えかねた拓海はテーブルに手を伸ばした。グラスには溶けかけの氷と、水に等しい薄オレンジ色の液体しか入っていない。
けれど、緊張のあまりカラカラに渇いてしまった喉を癒すためには仕方がなく、拓海はグラスに口を付け氷をひとつ口に含んだ。
腕組みをした涼介は、拓海を見ようともせず、組んだ足をジッと眺めている。
・・・啓介さん、あんなこと言ってたくせに出てっちゃうんだもんな・・・ずりぃよ・・・
涼介と二人きりだったら嬉しいと思っていたけれど、こんな事態になってしまった今では、高橋家に来たことを後悔していた。
「啓介と何話してたんだ?」
エアコンの自動運転が再開された音に乗って、涼介が口を開いた。
「別に何も・・・」
口の中の氷はとっくに溶けていた。ベタベタとイヤな唾を飲み込み首を横に振った。そんな拓海を、涼介は不満そうに見返した。
「言えないようなことなのか?」
「そういうんじゃ」
「だったら、啓介の言ってた『忠告』について教えてくれてもいいんじゃないか」
どうやら涼介不在の間に交わされた会話について知りたいらしい。自分が怒らせたわけじゃないと知って拓海は少しホッとした。
しかし。
啓介の一方的な『忠告』を口に出して良いものか判断に迷う。
「・・・・・・でも、これ聞いたら涼介さん気を悪くするかも・・・」
「知らない方が気分が悪い」
涼介の言うことは尤もだ。涼介の立場に置き換えて考えれば、夜も気になって眠れないかもしれない。
「・・・じゃあ啓介さんを怒らないでくれますか? 約束してくれないと言えません」
「約束?」
頭に血が昇っている涼介にとって、拓海の言い出したことは理解しがたい事だった。
どうして啓介の心配をするのだろう。拓海にとって、自分よりも啓介の方が大切なのだろうか。
嫉妬とも呼べる怒りがこみ上げるのをやっとの思いで押さえながら、涼介は頷いた。
・・・大丈夫かな・・・
拓海は涼介を見る。
『アニキに言うなよ』と啓介は言っていた。けれど、啓介の言葉は、涼介との今の関係を進展させるカギのような気がする。
・・・涼介さんがどうしてオレを誘ってくれてるか分かるかもしれないし・・・
涼介はどんな反応を見せるだろうか。ひょっとしたら無反応かも知れない。
おこがましい期待だと思うけれど、もしも涼介が自分のことを特別に想ってくれているのなら嬉しい。
・・・啓介さん、ゴメン!・・・
拓海は思い切って口を開いた。
「啓介さん、涼介さんと二人きりにならないように気を付けろって・・・」
「気を付ける? 一体何に気をつけろって言うんだ?」
「オレが・・・女みたいだからって・・・女みたいに可愛いから、間違いを起こすかもしれないって」
「は・・・?」
涼介は絶句した。呆気に取られた表情が、みるみるうちに厳しいものに変わり、拓海は怖いと感じた。
「怒ったんですか?」
「当たり前だ。そんな話、オレだけじゃなくて藤原まで侮辱してるようなものだ」
「でも、約束はちゃんと守って下さい。啓介さんは何も悪くないです。ただオレを心配して・・・」
「心配?オレがお前に間違いを侵すだなんてお前も信じるのか?」
そう言う涼介は内心焦っていた。
啓介の言うことは図星なのだ。それだけに過剰な怒りを覚えてしまい、啓介を守ろうとする拓海にまであたってしまう。
「それとも藤原は、オレよりもあいつの肩を持つのか?」
あまりにも余裕がないその様子に拓海は驚いた。こんな涼介は初めて見る。
「変です、涼介さん」
「変?」
「いつもみたいに笑って『啓介さんの冗談だろう』って流せばいいじゃないですか。どうしてそんなに機嫌が悪いんですか? ・・・オレ、涼介さんが何を考えてるのか・・・分かりません・・・」
いつも俯いているばかりの拓海が、責めるように涼介を睨んだ。その両目が僅かに潤んでいる。
これには涼介も冷静になるしかない。
「藤原・・・」
心臓が激しく高鳴っている。自分の想いを正直に言うべきか・・・言わないべきか。
この関係を終わらせるつもりでいたはずなのに、いざとなると決心が鈍る。
何も語らないことが、拓海を不安にさせた。
啓介の忠告を告白しなければ良かった。そうすればこんな気まずい雰囲気にならなかったかもしれないのに。
・・・もう、わけわかんねぇ・・・
涼介の気持ちを知りたい。でも、怖くもある。
こうなってしまった以上、今自分が思っていることを素直に言ってしまった方が楽なのかもしれない。
拓海は一度深呼吸をして、カサカサになった唇を開いた。
「オレ、自分の気持ちが分からなくて」
組んだ両手に視線を落としても、涼介の視線が自分に向いているのが分かる。
「啓介さんに言われたとき・・・涼介さんだったら・・・女の代わりにされてもいいかなって・・・思ったりして・・・」
具体的に『女の代わり』がどういうことなのか深く考えたわけではないけれど、今のように涼介が構ってくれるならどんなことをされても嬉しいと思った。
嫌悪感なのか、一瞬涼介の瞳が揺れたような気がして、拓海は俯いた。
「スミマセン。気持ち悪いですね・・・」
震える声を誤魔化そうとして笑ったけれど、喉からは空気が漏れたような音がした。
「涼介さんに対してそんな風に考える自分はイヤだし・・・これ以上平気な顔して涼介さんに会うのは無理かなって思うんです」
自分を落ち着かせようと深い溜め息を吐いた拓海は顔を上げ、涼介の目を真っ直ぐ見た。
「だから」
涼介は黙ったままだ。いたたまれない気持ちに押しつぶされそうになりながら、拓海は
「帰りますね」
と、告げた。
「もう、オレなんか誘わないで下さい。オレ、バカだから変に期待しちゃうから」
自分の気持ちが分からなかった。
けれど、口に出してしまった今になって、気が付いた。
・・・そうか、オレ、涼介さんが好きなんだ・・・・・・
だったら尚更ここにいるのはまずい。拓海はソファから立ち上がり、逃げるようにドアに向かった。
「待てよ」
「あ・・・!」
痛いくらいの力で手首を掴まれて拓海は振り返った。自覚した今、触れた部分が熱くて仕方がない。
「オレの話を聞かないで帰るのか? 自分勝手すぎるぜ」
涼介の表情は外で会っていたときと同じように優しいもので、声は穏やかだった。
「啓介の言ってることはあながちハズレじゃない。けど、女の代わりとか、そんな無責任な軽い気持ちで考えてはいないんだ」
「え?」
「付け加えるなら、オレは藤原に・・・」
掠れた声に、拓海の喉がゴクリと鳴った。
「恋人同士として、あいつが言うような・・・そういうことを・・・したくなると思うんだ」
「それって」
時計の針の音さえしない不気味な静寂の中、立ち尽くす拓海を見上げて涼介は言った。
「藤原・・・お前が好きなんだ」
つづく
次回、いよいよ完結です。
2004.09.19
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