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星空の下で−1
雲一つない夜空に、幾つもの星が瞬いている。ネオンが眩しい繁華街や住宅地ではここまで綺麗に見えない。
自身の無敗神話を崩された場所、秋名。別に無敗に拘っていたわけではないが、周囲の落胆は大きかった。求めている最速理論の元、無敗記録は続くと思われたのだが・・・。
赤城の白い彗星と称された男は、白い愛車に寄り掛かり夜空を眺めていた。
「そろそろか」
腕時計に目をやると、秋名山の麓からスキール音が聞こえた。登りであるが故にそのスピードはあの印象的な走りとは違う。それでも並の走り屋達とは比較にならないドライビング。
迫ってくる音がやがて眩しいヘッドライトの光になり一瞬で通過して行く。次に通るのは豆腐の配達を終えた下りの全開走行になるだろう。
「あの顔からは想像つかねぇな」
スッキリと整った顔が小さく笑うと、視線は再び夜空に戻った。
初めて会った時、どこかおどおどとして変な奴だと思った。弟とのバトルで緊張していたのだろうが、走り屋としての荒々しさが全く感じられない。それどころか初心者のような初々しさが印象的だった。
嫌々なバトル、自信のなさ・・・。チームメンバーの動揺。
こんな若い奴に啓介が負けるはずがない。
心のどこかでそう思ったのは事実だ。
けれど、あの時、それは不安に変わった。
彼がステアリングを握った途端、表情が変貌したのだ。まだ不安そうではあるが、瞳に激しい光が宿り口元に頑なさが感じられた。得体の知れないオーラ。今までの人生であんな不思議な奴に会ったのは初めてだった。
何かが起こるかもしれない。
そう予感めいたものがあって、啓介のFDは秋名のハチロクに負けた。
そして・・・。
自分とのバトル。
啓介を負かした奴と戦ってみたいという理由は、リベンジとか敵討ちとかギャラリーが喚いていることとは何ら関係はなかった。公道最速理論を完成させるための要素を見つけたい一心だった。
全く無名の走り屋、その目を見張るような走り。
バトル前、負けたら引退すると決意するのに、さして蟠りはなかった。啓介や史浩の言葉も、風のように感じた。
あいつの前では何もかもがデータ通りに行かない。
「あの・・・勝ったとかは思ってませんから・・・」
何故か赤い顔をして、ハチロクから降りた少年は言った。
負けて悔しいはずなのに、彼に対してどういう訳か心は冷静だった。バトルの興奮はゴール後のハチロクのテールランプを眺めている内にさらりと消え失せた。道路脇に停車して降り立ったドライバーの顔を見た途端、涼介の心は苦笑せずにはいられないほど落ち着いてしまった。
不思議な奴だ。
目を合わせた途端、少年は赤くなって目を逸らしてしまう。
「おまえいい奴だぜ、気に入ったよ」
そう言って恥ずかしくないほど、涼介は藤原拓海に興味を抱いたのだ。
・・・引退と引き替えに得た出会いに感謝するほどに。
ハチロクが通過してから30分も経たない内に派手なスキール音が聞こえてきた。タイヤに負担の掛からない芸術的なドリフトを思い出させるその音。
やがてハチロクは涼介の前をとてつもない早さで通過していく。
運転席に座るその横顔。
何かに取り憑かれたように急いている車とは対照的に、少年は気怠そうだった。
「わからねぇ奴」
涼介は楽しそうに笑った。
高橋涼介のバトルに勝利した後、藤原拓海は相も変わらずぼんやりと過ごしていた。
あの有名な走り屋に勝ったからといって特に生活が変わったわけではない。
高校に通って、バイトをして、豆腐の配達は相変わらずの日課だし、あの日FCと戦ったハチロクは自分の車ではない。
あの人と戦ったという証拠、確かな物が何もない。
ひょっとしたら夢だったのかもしれない。
そう思ってしまうほど、あのバトルは自分の身の上に起こったことではないように拓海には感じられる。時間が経過すればするほど薄れてしまうあの高揚感。
だから全てを忘れてしまわないように、一日に一回は高橋涼介を思い出す。実際には一日に何度も彼を思い出している気もする。端正な顔、低いトーンの声、諭すような冷静な口調、口元の微笑み。そしてあの、持ち主のイメージに合った白く綺麗な車。
あの夜、あまりに緊張して彼の顔を凝視できなかったから(暗かったこともあるし)はっきりと彼の顔を思い出すことは出来ない。けれど、あの雰囲気は彼にしかない特有の物だったから、それを思い出すようにしている。
「格好いい人・・・」
流石に池谷やイツキに雑誌の切り抜きが欲しいと強請ることは出来なくて、拓海は自分なりに思いを馳せていた。
手の届かない彼に憧れを抱いて。
「とりあえず、ハイオク満タン頼むよ」
突然現れた白いRX-7のドライバーは運転席からやんわりと言った。
生憎池谷もイツキも他の客の対応に追われていて、拓海は緊張しつつ涼介の車に給油する。
「窓を拭いてもよろしいですか?」
一日に何十回と使う業務的なセリフを言うにも緊張して、ガラスを拭いているときにも緊張して、多分赤い顔をしているんだろうと自分でも思う。
FCに背を向け雑巾を片づけながら溜め息を吐いていると、背後でドアが閉まる音がした。
「今、忙しい?」
予想外に声をかけられて今まで以上に緊張しながら振り返ると、高橋涼介が相変わらずカッコイイ顔に優しい笑みを浮かべて立っていた。
・・・手足長ぇ・・・
拓海は無言のまま周囲を見渡す。池谷は客を送り出すところで、イツキは次の客を待ちながらもこっちを興味津々に観ていた。
拓海は観念したように涼介の顔を見上げる。こんなに突然再会するだなんて、心の準備も何もない。どうにか逃げ場所を探したけれど、それも使えない。
先輩も親友も高橋涼介に話しかけようなんて勇気はないようだ。
他に客がいない以上嘘は使えないし、そもそも嘘を付く理由もない。
「忙しくは・・・ないです」
「良かった。邪険にされたらどうしようかと思ったよ。でも、藤原に会うにはバイト中を狙うしかないから」
だからちょっと付き合ってくれ
そう言って涼介は拓海に近付いた。二人の間は僅か二歩程度。それだけで、心臓がドキドキする。
「え・・・と、話でしたら手短にお願いします」
チラリと横目で聞き耳を立てている二人を見る。
いつも以上に赤くなっているであろう自分が恥ずかしい。
「・・・そうだな。仕事中だから流石に・・・」
拓海の視線を追うように涼介も二人を見る。すると逃げるように野次馬の二人は店内に逃げ込んでしまった。
「じゃあバイトが終わったら二人きりで会えないか?」
「は・・・ぁ?」
これまた予想外の申し出に拓海の頭は一瞬真っ白になった。
その様子が面白いのか、涼介は少し楽しそうだ。それでも僅かに眉が下がっている。困っているのか、残念なのか・・・。
「何か用事でも?」
「いえっ、用事はないです、何もっ、いつも暇だしっ」
残念そうに言う涼介に慌てて答えてしまった自分に内心「いいのかよっ」と突っ込みを入れても遅い。
「そうか。良かった」
あからさまに安堵した微笑みに、うっかり見とれてしまう。
「ここには自転車か何かで来てるのか?」
「いえ、バスで・・・」
「そうか。バイトは何時まで?」
「今日は8時までですけど」
「じゃあ8時5分に向かえに来る」
「え、あ、はい」
「そんな堅くならないでくれよ。たいした話じゃないんだから。まぁ、そういうのが藤原の性格みたいだから良いんだろうな」
涼介は楽しそうに笑って再びFCに乗り込んだ。
「あ、給油・・・」
ちょっともたついた接客に怒りもせず、涼介は終始穏やかに微笑んでスタンドから去っていった。
つづく
連載です。えーと、原作と照らし合わせないで下さいね。
初々しい二人を書けたらいいな。
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